実はあまり知られていない!高野豆腐と高野山の関係と過去の秘密と由来・歴史

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実はあまり知られていない!高野豆腐と高野山の関係と過去の秘密と由来・歴史よくスーパーで見かけることの多い豆腐に「高野豆腐」があります。

高野豆腐は、あなたが子供の頃から、「高野豆腐」と呼ばれ続けていますので、特に違和感もなく、遠い昔から我々の生活の中に当たり前のように溶け込んできました。

しかし、この「高野豆腐」のネーミングをよく見てみると、「高野山」の「高野」の字が入っています。

そして、この事実を知った瞬間に、こんな疑問が出てきます。

高野豆腐と高野山って、何か特別な関係があるの?

そこで、ここでは、高野豆腐と高野山の関係について、紐解いていこうと思います。

まず、高野豆腐とは??

高野豆腐とは、乾燥し、硬くなったカタマリ状の豆腐のことをいいます。

高野豆腐の伝来は、中国から伝わったものだと言われております。

また、高野豆腐は、寒い地域で主に食されていた、保存食でもあります。

しかし、なぜ、寒い地域で食されていたのでしょうか?

これについても、これからお話をして行きたいと思います。




まず、高野豆腐の製法とは?

高野豆腐の製法は、普通の豆腐を、乾燥させて水分を飛ばし、マイナス30度くらいの冷蔵庫へ急速冷凍をします、そのまましばらく放置します。

すると、乾燥したカチコチに固まったお豆腐ができるのです。

まず、高野豆腐の製法とは?

昔の高野豆腐の製法

昔の高野豆腐の製法は、まず、気温が低い冬などに、豆腐を適当な大きさで切って、外へ出しておきます。

1日の流れとして、「太陽が昇って⇒太陽が落ちて⇒また昇って・・」を繰り返します。

これは今も昔も違いはありません。

豆腐を外へ出して放置しておくと、気温が低い真夜中には、凍ってしまいます。

しかし、また朝が来て朝日が昇り、解凍されて、ふたたびフニャっとした、お豆腐に戻ります。

しかし、また真夜中が来ると・・凍ります。

つまり、昼間の太陽の熱で水分が蒸発して、真夜中に凍りつき・・
これを繰り返すと、自然と水分が抜けた、カチコチの豆腐が完成するのです。

このカチコチのお豆腐の形が、今現在、あなたがスーパーやコンビニで見るような、固い正方形の「高野豆腐」と言うわけです。

古来から、高野豆腐が、寒い地域だけの限定生産だった理由

さきほど、上記で寒い地域でよく食されていたと言う、お話をチラっとしました。

実はこれにも理由があります。

もうすでに、あなたはお分かりかもしれませんが、豆腐が凍りつくぐらいの温度でないと水分が蒸発して、カチコチに固まった高野豆腐にはならないと言うことです。

つまり、寒い地域でよく食されていたと言うのが、気温(温度)との密接な関係があったと言うことになります。

高野山と高野豆腐の関係

ここまできて、高野豆腐の製法は何となく把握できました。

では、高野山と高野豆腐の関係って、いったい何?

・・と言う疑問だけが残りますが、これについてもお話していきたいと思います。

高野山と高野豆腐との深い関係とこんなエピソード

高野山と高野豆腐との深い関係とこんなエピソード

実は、高野山でも、高野豆腐を精進料理を作る際の材料として、頻繁に使用していました。

こんなエピソードがあります。

高野山の僧侶が、ある冬の日の食事の際、料理に入っていた豆腐を食べれなくなり、明日、食べようと外へ出して隠したそうです。

そして、豆腐を外へ出していたことを忘れて、しばらくたったある日、ようやくそのことに気づいて豆腐のところへいったら、カチコチに固まった豆腐ができていたそうです。

このようなことがあって、高野山では、精進料理に使う豆腐を外へ出して干して、日持ちする形状にしてから、料理に使用したといいます。

当時の高野山は山中でも頂上付近に建立されていることから、長期的に保存ができる食材を備蓄しておく必要がありました。

そして、この高野豆腐がいかにして、名前が広まっていったのかは、以下のとおりになります。

「高野豆腐」の名前が日本全国区で有名になった理由

江戸時代、高野山は、主に西国のさまざな国々から、旅人や僧侶が数多く訪れていました。

そして、高野山で料理をいただく際、料理の中にある不思議な形状の豆腐と、その食感・味に興味を抱きます。

その後、その料理を食べた僧侶や旅人は、料理に使われていた豆腐を、ぜひ、見せて欲しいと願い出る者がでました。

そして、自分が昨夜食べた豆腐の形状を見て驚くのです。

何せ、カチコチに固まった豆腐ですから。

やがて、この豆腐の料理の味や食感、そして、カチコチの形が、旅人の間で評判になって行くのです。

そのうち、あまりにも珍らしさに、ぜひ、このカチコチの豆腐を持って帰りたいと言う旅人があわられます。

日本の各地から高野山に訪れた旅人が、このカチコチの豆腐を自分の国へ持って帰るワケです。

当時では、かなり珍しがられたそうです。

やがて、この高野山の豆腐のことが、噂となって広く知れ渡ってゆき、いつの日か、旅人の間では、この豆腐を故郷への土産として持ち帰るのが、当たり前となって行きました。

さらにこの高野豆腐が広まった理由は他にもあります。

それは、高野山の近くには、「天下の台所として知られた大阪」や「高級料亭が軒並み並び立つ京都」が、ありました。

これら、大阪・京都と言う都市が近いこともあって、高野山の豆腐は、京料理や大阪の料理屋で、広く使われるようになりました。

このような背景があり、「高野山の豆腐」の名は、瞬く間に日本全土にが広まって行きました。

その後、高野山の豆腐が「高野豆腐」と、言うように略されていき、現在の「高野豆腐」という、ネーミングに至ったものだと言われています。




えっ?!高野豆腐は東北地方でも作られたいた?!

えっ?!高野豆腐は東北地方でも作られたいた?!実は高野豆腐は、東北地方でも古くから作られていたと言われております。

その由来は、戦国時代、東北地方を全て治めていた大名の「伊達政宗」によって、戦の非常食として生み出されたものであるといいます。

ちなみに、東北地方では、高野豆腐のことを「凍り豆腐」と呼ぶそうです。

「日本農林規格(JAS)」でも、高野豆腐の正式名称は、「凍り豆腐」が正しいと言うことが確認されています。

高野豆腐の現在と「今でも、高野豆腐は今でも高野山で作られているの?」

実は今では高野山で高野豆腐は作られていません。

もともと、高野山の僧侶の方々が、日持ちする保存食として「高野豆腐」を作っていました。

しかし現在では、機械などを代表とした技術革新により、食の文化や、食の製法が、大きく変化を遂げています。

すなわち、高野山の僧侶の方々が、豆腐を日干しする場所を確保して、日数と手間をかけて、わざわざ高野豆腐を作らなくても、高野豆腐が容易に調達できるので、現在では作っていないと言うことです。

しかし、高野山の付近では、今でも数件、高野山の伝統の自然製法の高野豆腐を作り続けていると言います。

これらの高野豆腐は、主にお土産用として、土産物屋さんで販売されています。

では、今、スーパーやコンビニで売られている高野豆腐はどこで作られているの?

では、今、スーパーやコンビニで売られている高野豆腐はどこで作られているの?

現在の高野豆腐の産地は「長野県」で、そのほとんどが作られいると言います。

実は、長野県でも、古くから高野山と似たような自然環境から、戦国時代から「凍り豆腐」と言う名前で、高野豆腐が一般的に作られていたと言います。

長野県の「凍り豆腐」は、戦国時代、当時の長野県一帯を統治していた大名・武田信玄によって、戦の際の日持ちする非常食として開発され、製造されていたと伝わっています。

このようなこともあって、現在では、その名残や由来を多く受け継いだ長野県の「凍り豆腐」が、「高野豆腐」と名前を変えて、今でも日本中の食卓で愛されている「高野豆腐」として、古来からの伝統を守り抜いていると言うことが言えます。

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